時代に翻弄された偉大な王者 その②



マックス・シュメリングについて書いております。

前回の記事はこちらをクリックしてください。

ユダヤ系の敏腕マネージャーであるジョー・ジェイコブズのマッチメークにより幾多の強豪を退け祖国ドイツではナチ党の看板となったマックス・シュメリングは、35年3月ハンブルグで試合を行いました。

強豪であるスティーブ・ハマスを9回KOにて倒すと、その雄姿に興奮した2万5000人の観客が一斉に立ち上がりドイツ国家を合唱し始めたのです。(右手を掲げたナチス式の敬礼をしながら)

突然の事態に困惑したジェイコブズはリング上で、葉巻を挟んだままの右手を見よう見真似で掲げたのですが・・・
「我らヒトラー総裁に対する、許しがたき侮辱行為!」
多くのマスコミがジェイコブズの不敬を糾弾し、内務次官でありヒトラーの側近、ハンス・フォン・チャマーウントオステンからシュメリングは呼び出しを受けたのです。

「ユダヤ人と縁を切れ」

しかし、これを断固として拒否したシュメリングは、生命の危険を冒してもヒトラーを説得しようと直接、総裁に会見を申し出ました。

著書「わが闘争」においてボクシングを理想のスポーツと断言し、突撃隊には射撃よりもボクシングを行うことが重要だと記したくらいのヒトラーだから、快くシュメリングをヴィルヘルム沿いの官邸に招き入れました。

しかし、ヒトラーの機嫌をおおいに損ねることに・・・

「私のマネージャーはユダヤ人です。けれどもボクシングにおいては、カトリックであろうとプロテスタントであろうと、ユダヤ人であろうと、黒人であろうと、そんなことはどうでもいいことなのです」

これにより、ナチ党のシュメリングへの回答は、後に戦争勃発とともに、世界的なアスリートとしては異例の”最前線への徴兵”という形で実行されたのです。

一方、ナチ党はアメリカ人で無敗のジョー・ルイスをKOしたシュメリングを強国ドイツの宣伝材料として無視できないでもいたのです。

そんな状況のなか、シュメリングはアメリカへの移住を勧める周囲の声をきっぱりと断りました。
「私はナチ党員ではありません。もしそうだったら、アメリカにこれほどのユダヤ人の友人はいません。かといって祖国ドイツを捨てることなどできません。ドイツでドイツ人として生まれ育った私は一生ドイツ人です」

第2次世界大戦後、コカ・コーラの販売などを手掛けるなどしてシュメリングは実業家として成功。頻繁にアメリカを訪れるようになります。

実は、この時、経済的に苦しい状況であったかつてのライバル、ジョー・ルイスに対し、目立たぬように内緒で金銭的援助を行っていたそうです。

アメリカの英雄であるジョールイスが亡くなった時、その入院費などの多くをシュメリングが払っていたことが後に判明しました。

世界のボクシングにおいて、幾多のチャンピオンが生まれ、また、その輝ける才能が有りながら無冠のままに終わった名選手が多数おります。
今日は、ボクシングの技術だけではなく紳士としても印象に残る名選手をご紹介しました。

時代に翻弄された偉大な王者 終わり

この記事にコメントする

お名前
タイトル
メール
URL
コメント
絵文字
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
パスワード

プロフィール

HN:
マンシー•カマラ
性別:
非公開
職業:
クレープ屋、ギター製作家、毒ガス管理業、台灣、ロボット職人
自己紹介:
はじめまして。
・石井(クレープ屋)
・栗山(ギター製作家)
・オマタ(毒ガス管理、散布業)
・うどん(ロボット職人)
Kロサワ楽器を自主退社した4人と
・ありこ(台灣)
・師匠(2017年8月20日脱退)
が加わり、日々様々な自己中話を投稿していきます。
動画も多数公開予定ですので乞うご期待!!

カレンダー

09 2017/10 11
S M T W T F S
6
20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

リンク