みんなの大部屋
本気の無駄話を不定期にお送りします。
神田川クルーズ
こんにちは、土曜のありこです。
♪あなたは~もう~忘れたかしら~
赤い~手拭い~マフラーにして~
神田川クルーズへ行きました。
墨田川じゃありません。
東京湾でもありません。
神田川です。
怪しさ満点。
そこがものすごく魅力でした。
なんと、45前後の橋をくぐるのです!
普段そんな数の橋をくぐることなんてありますか?
さしずめ5本の指に入るくらいの高速や歩道橋をくぐるのが関の山。
こんなに沢山の橋を船でくぐる…探検心をくすぐります。少年にかえった思い、笑。
ベトナムのクチトンネルすら思い起こさせる勢いです。
▼クリックで拡大可
江戸時代や戦争の爪痕など、歴史も感じられます。
この神田川クルーズは船がオープンであることが特徴なのだそうです。
そのため、雨天中止なんだとか…予約してから当日まで、天気予報を見ては一喜一憂しました。1週間前までは雨の予報で半ばあきらめかけていたところを、2日前くらいから予報が変わり曇りに!
日頃の行いが良いからでしょうか、笑。
さて当日の出発時間。
日本橋のたもとから、予約の順番で船に乗り込みます。
乗船すると、麦わら帽子を貸してもらえます。
船にはガイドさんが付いているのですが、これがもう名物なのではないか?
それくらい、饒舌で上手い。長く生きていらっしゃるとはいえ豆知識が豊富、まさに「生き字引」。
ガイドの吉田さんという方が、本当に面白かったです。
くぐって
くぐって…
途中、神田川ってものすごく狭くなるのですね!
すぐ横に古い建物が並んで、洗濯物が干してあったりして。
割と大きい死んだ魚がお腹出して浮いてたりなんかもして(合掌)。
くぐって……
関東大震災後の震災復興橋梁、聖橋。
このアーチが水面に映ると、橋と繋がり綺麗な円を描くそうです。
「これはよく作ったなぁ…」という感嘆の声が漏れ聞こえて来ました。
くぐって…あ、中央線?
「俎橋」この字、読めますか?
橋をくぐって振り向いたらそこに、答えが書いてありますとのこと。
正解は「まないた橋」でした。
くぐって
くぐ…ぅおっと! 天井が低い!!
のけぞる。
神田川から墨田川へ入ったところ辺りに松尾芭蕉の大きな銅像があるのですが、その辺りでよくドザエモン(水死体)があがるらしく、海上警察か消防隊か、近辺で訓練をしていました。
くぐって…
次の写真は、戦争の爪痕です。弾丸の跡が複数、水際までけっこうな数ありました。
割と大きい。15-20センチ大です。
橋のたもとへ逃げる人を、アメリカ空軍が追いかけて撃った跡だそうです。
ここで何人亡くなったのだろう…。
死体が沢山浮いたのだろうか…。
さすがに50近くもの橋を写真におさめることは出来ませんでしたので、この辺で。
たくさんの橋をくぐった感じ、伝わりましたでしょうか。
道中いくつもの橋の上の人たちが手を振ってくれました。
旅の恥は掻き捨て、盛大に振り返しました。
ガイドさんが日本橋の魚河岸についてや、江戸時代の商人について触れました。
10歳で江戸へ奉公に来た子供たちが何年かして初めて地元へ帰る際の話など…。
彼らも東海道をひたすら歩きながら、すれ違う人にこうして手を振ったのでしょう。
日本橋に帰って来ました。
ここにも戦争の爪痕が。
日本橋の下の黒い部分は、戦火で燃えた船が「ドーン」と衝突した跡なのだそうです。
映画になった『麒麟の翼』で有名なこの麒麟像ですが、足がちょこっと飛び出ています(下の写真の赤い丸に注目)。
これは、設計ミスなのだそうです、笑。存じ上げませんでした。
起点となる橋。この角度で日本橋を見られることはそうそうありません。
日本橋の獅子は橋(は8×し4)=32
ということで、32頭居るそうで、数えてみましたが確かに32居ました。
陸に上がると日本橋のたもとには乙姫像と看板があるのですが、この辺りは一帯、魚河岸が栄えていた地域との解説などが載っています。
昨今話題の築地市場ですが、その辺りを掘削した土はこの近辺から銀座あたりまで、コンクリートの下に盛り土されているそうです。つまり、この時歩いた私の足元にはその下のほうに築地市場を開拓した際の土がある…。
そしてそれは決して綺麗な土ではなかったと聞きました。
豊洲も汚染が話題になりましたが、何か少し複雑な気持ちになりました。
探検心をくすぐられながら、江戸時代や戦時中の歴史に悲喜こもごも感じながら、
とても楽しい90分。アッという間でした。

また乗りたい、あと3回くらい乗りたいって思いました。
おすすめです。
♪あなたは~もう~忘れたかしら~
赤い~手拭い~マフラーにして~
神田川クルーズへ行きました。
墨田川じゃありません。
東京湾でもありません。
神田川です。
怪しさ満点。
そこがものすごく魅力でした。
なんと、45前後の橋をくぐるのです!
普段そんな数の橋をくぐることなんてありますか?
さしずめ5本の指に入るくらいの高速や歩道橋をくぐるのが関の山。
こんなに沢山の橋を船でくぐる…探検心をくすぐります。少年にかえった思い、笑。
ベトナムのクチトンネルすら思い起こさせる勢いです。
▼クリックで拡大可
江戸時代や戦争の爪痕など、歴史も感じられます。
この神田川クルーズは船がオープンであることが特徴なのだそうです。
そのため、雨天中止なんだとか…予約してから当日まで、天気予報を見ては一喜一憂しました。1週間前までは雨の予報で半ばあきらめかけていたところを、2日前くらいから予報が変わり曇りに!
日頃の行いが良いからでしょうか、笑。
さて当日の出発時間。
日本橋のたもとから、予約の順番で船に乗り込みます。
乗船すると、麦わら帽子を貸してもらえます。
それくらい、饒舌で上手い。長く生きていらっしゃるとはいえ豆知識が豊富、まさに「生き字引」。
ガイドの吉田さんという方が、本当に面白かったです。
くぐって
くぐって…
途中、神田川ってものすごく狭くなるのですね!
すぐ横に古い建物が並んで、洗濯物が干してあったりして。
割と大きい死んだ魚がお腹出して浮いてたりなんかもして(合掌)。
くぐって……
関東大震災後の震災復興橋梁、聖橋。
このアーチが水面に映ると、橋と繋がり綺麗な円を描くそうです。
「これはよく作ったなぁ…」という感嘆の声が漏れ聞こえて来ました。
くぐって…あ、中央線?
「俎橋」この字、読めますか?
橋をくぐって振り向いたらそこに、答えが書いてありますとのこと。
正解は「まないた橋」でした。
くぐって
くぐ…ぅおっと! 天井が低い!!
のけぞる。
神田川から墨田川へ入ったところ辺りに松尾芭蕉の大きな銅像があるのですが、その辺りでよくドザエモン(水死体)があがるらしく、海上警察か消防隊か、近辺で訓練をしていました。
くぐって…
次の写真は、戦争の爪痕です。弾丸の跡が複数、水際までけっこうな数ありました。
割と大きい。15-20センチ大です。
橋のたもとへ逃げる人を、アメリカ空軍が追いかけて撃った跡だそうです。
ここで何人亡くなったのだろう…。
死体が沢山浮いたのだろうか…。
さすがに50近くもの橋を写真におさめることは出来ませんでしたので、この辺で。
たくさんの橋をくぐった感じ、伝わりましたでしょうか。
道中いくつもの橋の上の人たちが手を振ってくれました。
旅の恥は掻き捨て、盛大に振り返しました。
ガイドさんが日本橋の魚河岸についてや、江戸時代の商人について触れました。
10歳で江戸へ奉公に来た子供たちが何年かして初めて地元へ帰る際の話など…。
彼らも東海道をひたすら歩きながら、すれ違う人にこうして手を振ったのでしょう。
日本橋に帰って来ました。
ここにも戦争の爪痕が。
日本橋の下の黒い部分は、戦火で燃えた船が「ドーン」と衝突した跡なのだそうです。
映画になった『麒麟の翼』で有名なこの麒麟像ですが、足がちょこっと飛び出ています(下の写真の赤い丸に注目)。
これは、設計ミスなのだそうです、笑。存じ上げませんでした。
起点となる橋。この角度で日本橋を見られることはそうそうありません。
日本橋の獅子は橋(は8×し4)=32
ということで、32頭居るそうで、数えてみましたが確かに32居ました。
陸に上がると日本橋のたもとには乙姫像と看板があるのですが、この辺りは一帯、魚河岸が栄えていた地域との解説などが載っています。
昨今話題の築地市場ですが、その辺りを掘削した土はこの近辺から銀座あたりまで、コンクリートの下に盛り土されているそうです。つまり、この時歩いた私の足元にはその下のほうに築地市場を開拓した際の土がある…。
そしてそれは決して綺麗な土ではなかったと聞きました。
豊洲も汚染が話題になりましたが、何か少し複雑な気持ちになりました。
探検心をくすぐられながら、江戸時代や戦時中の歴史に悲喜こもごも感じながら、
とても楽しい90分。アッという間でした。
また乗りたい、あと3回くらい乗りたいって思いました。
おすすめです。
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プロフィール
HN:
性別:
非公開
職業:
ギター屋、毒ガス屋、台灣屋、ロボット屋、他、沢山
自己紹介:
ギター屋 栗山
毒ガス屋 小俣
ロボット屋 うどん
台灣屋 ありこ
を中心に、様々な自己中話を投稿していきます。
歴代メンバー
・将棋屋 師匠(2017年8月20日まで)
・クレープ屋 石井(2018年8月8日まで)
毒ガス屋 小俣
ロボット屋 うどん
台灣屋 ありこ
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歴代メンバー
・将棋屋 師匠(2017年8月20日まで)
・クレープ屋 石井(2018年8月8日まで)
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